沈黙の司祭サイレンスの魔法により、島全体が異様な静寂に包まれた。
人々は口を開けているが、声が出ない。歌おうとしても、言葉を発しようとしても、ただ無音の空気が流れるだけ。「これは……」ユウリが愕然とする。自分の声すら、かすれて小さくしか出ない。「『完全沈黙域』ね」セリアが辛うじて声を絞り出す。「音そのものを封じる魔法……」サイレンスが宙に浮かび、島を見下ろしている。「美しいでしょう?完全なる沈黙の世界」彼だけの声が、異様にはっきりと響く。「争いも、誤解も、すべては言葉から生まれる」「それを消去すれば、世界は平和になります」島民たちが必死に声を出そうとしているが、まったく音にならない。絶望と恐怖が顔に浮かんでいる。「言葉を奪えば、確かに争いはなくなるかもしれない」ユウリが苦しみながら言う。「でも、それは平和じゃない!」「愛も、友情も、希望も、全部言葉で伝えるものなんだ!」サイレンスが嘲笑う。「そんなものは幻想です」「人間の感情など、混乱の元でしかない」彼が手を振ると、沈黙の領域がさらに広がった。七人の声も、ついに完全に失われる。『これは……困りました』ティオの心の声だけが、なぜか聞こえた。『心の声は聞こえるんですね』エスティアの心の声も響く。『それなら……』マリナの心の声。七人は互いの心の声で会話を始めた。言葉は出せなくても、心は通じ合っている。『みんな、手を繋ぎましょう』セリアの心の声が提案する。七人が手を取り合った瞬間、新たな力が覚醒した。それは『心声連携』——声を失っても、心で繋がる魔法。『《心韻合奏・無声詩篇》』七人の心が一つになり、音のない歌が響き始める。それは聴覚ではなく、魂で感じる時の島での冒険から一ヶ月が過ぎた。八人は南方の群島地帯を航行していたが、各地から奇妙な報告が届いていた。「言葉が勝手に変わっている……?」セリアが報告書を読み上げる。「そうです」アクアの背中で休んでいたマリナが説明する。「海語族の間でも話題になってる。古い歌が、いつの間にか新しい歌詞に変わってるって」『それは自然な言語変化ですか?』ティオの心の声が疑問を示す。「いや、これは異常よ」エスティアが咎読で各地の言語状況を調べる。「通常の言語進化は何百年もかけて起こるもの。でも今起きているのは、数日で言葉が変わってしまうような急激な変化」その時、前方に大きな島が見えてきた。『言語学園島ファイロロギア』——世界最古の言語研究機関がある島だ。「あそこなら、詳しい情報があるかもしれません」カイが提案する。島に到着すると、港は大混乱に陥っていた。学者たちが慌ただしく走り回り、誰もが困惑した表情を浮かべている。「大変だ!また変わった!」一人の学者が叫びながら駆け抜けていく。「何が変わったんですか?」ユウリが学者を呼び止める。「古代語の文献が!読んでる最中に文字が変化して、意味が完全に変わってしまった!」学者が震え声で答える。八人は学園の中央図書館へ向かった。そこでは、白髪の館長が困り果てた様子で書物と格闘していた。「これは……プロフェッサー・エヴォリューション」カイが館長を見つけて声をかける。「おお、君たちか」プロフェッサーが振り返る。「ちょうどよい。君たちに見せたいものがある」彼が古い魔導書を開くと、そこには古代語の詩が書かれていた。しかし、見ている間に文字がゆらゆらと動き、別の言葉に変化していく。「これが『言語進化現象』だ」プロフェッサーが深刻な表情で説明する。「世界中の言語が、自然な進化速度を無視して急激に変化している」「原因は何ですか?」セリアが問う。「『進化の精霊』の仕業と考えられる」プロフェッサーが古い文献を指差す。「伝説によれば、言語の自然進化を司る精霊が存在するという」「その精霊が暴走している?」トアが心配そうに聞く。「いや、むしろ誰かに利用されているのではないか」プロフェッサーが推測する。その時、図書館の窓から外を見ると、街の様子がおかしいことに気づいた。人々が同じ言葉を話
テクノポリスを後にして三日後、八人は奇妙な島を発見した。その島は時間の流れが不安定で、一部分では時が止まり、別の部分では急速に時が流れている。「あの島……変よ」セリアが望遠鏡で観察する。「木々が一瞬で成長したり、逆に若返ったりしてる」「時間魔法の影響かしら」エスティアが咎読で調べる。アクアが島に近づくにつれ、時間の歪みが八人にも影響を与え始めた。ユウリの髪が一瞬白髪になり、次の瞬間子供の頃に戻る。「うわあ、これは危険だ」カイが慌てる。しかし、島の中央から美しい鐘の音が響いてきた。それは時間の歪みを整える効果があるようで、八人の時間は正常に戻った。「誰かいる」マリナが島の中央を指差す。そこには古い時計塔が立っており、その周りで一人の老人が詩を朗読していた。老人の詩に合わせて、島の時間の流れが安定している。「《時の調律詩・永遠のリフレイン》」老人の詩は美しく、時間そのものを操る力を持っていた。八人が近づくと、老人が顔を上げる。「おや、旅人の方ですか」老人が穏やかに微笑む。「私はクロノス・ポエータ。時の詩人と呼ばれています」「時の詩人?」ユウリが興味を示す。「この島の時間を管理しているのです」クロノスが時計塔を見上げる。「時間魔法の暴走により、島の時が乱れてしまいましてね」「時間魔法の暴走?」トアが心配そうに問う。クロノスの表情が暗くなる。「実は、この島で恐ろしい実験が行われていたのです」「『時間言語実験』——時間を超越した永遠の言語を作る研究でした」『永遠の言語……』ティオの心の声が困惑する。「言語学者たちが、時間に左右されない完璧な言語を作ろうとしたのです」クロノスが説明する。「過去・現在・未来のすべての時代で通用する、究
原初の創造者との戦いから二週間が過ぎた。八人は小さな商業都市『テクノポリス』に寄港していた。ここは魔導技術と商業が発展した、比較的新しい街だ。しかし、街の様子が明らかにおかしかった。「なんか……人の話し方が変」トアが困惑する。確かに、街の人々の話し方が不自然だった。みんな同じようなリズムで話し、感情の起伏がない。「こんにちは。いらっしゃいませ。何かお探しですか」商店の店主が、まるで機械のように話しかけてくる。「あの……宿屋を探してるんですが」ユウリが答える。「宿屋ですね。了解しました。北東方向に50メートル進み、右折してください。効率的です」店主が機械的に道案内する。八人は顔を見合わせた。確かに親切だが、どこか人間らしさを感じない。宿屋でも同じ現象が起きていた。「いらっしゃいませ。客室は8部屋空いています。料金は一泊100ガムです。効率的に決済してください」宿屋の主人も機械的に話す。部屋に入った八人は、作戦会議を開いた。「明らかに異常ね」セリアが心配そうに言う。「みんな、まるでロボットみたい」「人工言語の影響かもしれません」カイが推測する。『でも、人工言語って何ですか?』ティオの心の声が疑問を示す。その時、窓の外から機械音が聞こえてきた。見ると、街の中央広場に巨大なスピーカーが設置されている。そこから、一定間隔で音声が流れていた。「皆さん、こんばんは。今日の効率的コミュニケーション講座を始めます」機械音声が街全体に響く。「感情的表現は非効率です。論理的で正確な言葉を使いましょう」「例:『嬉しい』→『満足度78%』」「例:『悲しい』→『不満足度83%』」街の人々が講座を熱心に聞いている。「これは……」エ
原初の創造者の威圧感は、これまでの敵とは次元が違っていた。 その存在そのものが言語の源流であり、八人が使う全ての言葉もまた、この存在から派生したものだった。 「膝を屈せよ、我が子らよ」 創造者の声が島全体に響く。 「我こそが汝らの言葉の父。従うは当然のこと」 しかし、八人は屈しなかった。 それぞれの魔導書を構え、多様性の魔法を発動する。 「父であっても、間違いは間違いです」 ユウリが毅然として言う。 「間違い?」 創造者の瞳が光る。 「我が創りし原初言語が間違いだと申すか」 「原初言語は美しいです」 セリアが認める。 「でも、それだけじゃ足りない」 「なぜだ?」 「愛には、いろんな形があるから」 トアが花を咲かせながら説明する。 「言葉も同じ。いろんな形があるから美しい」 創造者が手をかざすと、八人の周囲に原初言語の文字が浮かび上がった。 それは確かに完璧で美しい文字だったが、どこか冷たい。 「見よ、これが真の美しさ」 創造者が誇らしげに言う。 「完璧な秩序、完全な調和」 『でも、心が感じられません』 ティオの心の声が響く。 「心?」 創造者が首を傾げる。 「感情などという曖昧なものは不要」 「不要じゃない!」 マリナが海語で歌いながら反論する。 「心があるから、言葉が生きるの」 彼女の歌声に呼応して、海の向こうから無数の海竜が飛来した。 アクアだけでなく、世界中の海竜が集まってきたのだ。 海竜たちが一斉に歌を響かせる。 それは古い海語——創造者の原初言語よりもさらに古い、生命の歌。 「まさか……」 創造者が動揺する。 「原初言語より古い言語が……」 「海語は言葉が生まれる前からあった」 マリナが説明する。 「生命そのものの歌よ」 エスティアが咎読で真実を読み取る。 「分かった!」 彼女が興奮して叫ぶ。 「創造者は、最初の言語を作ったんじゃない」 「生命の歌を『整理』して、言語にしたのよ」 「そうです」 カイが続ける。 「つまり、言葉の多様性こそが本来の姿」 「統一の方が不自然なんです」 創造者の表情が変わった。 初めて、確信が揺らいでいる。 「しかし……我
東の大陸エクリトゥーラでの任務を終えて三日後。八人は次の目的地を決めかねていた。海竜アクアの背中で、地図を囲んで議論している。「どこも平和に見えるけど……」セリアが各地の状況報告書を確認する。「むしろ、私たちの活動の影響で言語多様性への理解が広まってる」「良いことじゃない」トアが嬉しそうに言う。『でも、油断は禁物です』ティオの心の声が警告する。『敵が静かすぎるのが気になります』確かに、最近は大きな言語弾圧の報告がない。むしろ各地で言語の自由を求める運動が起こり、成果を上げている。「もしかして、僕たちの仕事は終わったのかもしれません」サイレンスが希望的に言う。しかし、エスティアの表情は曇っていた。「何か感じるの?」マリナが問いかける。「咎読で世界の『言葉の流れ』を読んでるんだけど……」エスティアが困惑する。「何かが『準備』されてる感じがするの」「準備?」ユウリが身を乗り出す。「具体的には分からない。でも、すごく大きな何かが動き始めてる」その時、アクアが突然進路を変えた。海竜が何かに呼ばれるように、西の方角へ向かっている。「アクア、どうしたの?」マリナが海語で問いかける。アクアの返答を聞いて、マリナの顔が青ざめた。「『古い歌が呼んでいる』って……」「それも、『とても悲しい歌』だって」「古い歌?」カイが首を傾げる。「海竜にしか聞こえない、太古の言語の歌よ」マリナが説明する。「でも、そんな歌が今ごろ響くなんて……」アクアが向かう先には、小さな無人島があった。しかし、近づくにつれて異変が見えてくる。島全体が黒い霧に包まれており、不気味な光が点滅している。「あれは……」エスティアが咎読で島を調べる。「言語魔法の残滓……でも、こんな濃い魔力は見たことない」島に降り立つと、そこは想像を絶する光景だった。地面には古代文字が無数に刻まれており、その全てが黒く染まっている。「これは……『言語封印陣』ね」セリアが分析する。「でも、規模が異常よ」封印陣の中央には、巨大な石碑が立っていた。そこに刻まれた文字を読んで、一同は愕然とする。「『原初言語復活計画』……?」ユウリが読み上げる。「原初言語って何?」トアが不安そうに聞く。「世界で最初に話された言語よ」エスティアが震え声で答える。「
地下図書館に響く激しい戦闘音。記憶監視官たちが口伝魔法で攻撃してくるが、八人は連携して応戦する。「《多重連携・文字解放》」八人の花紋から魔導書が現れ、文字の魔法が地下図書館を照らした。それは十年ぶりに現れた、美しい文字の光。「まさか……文字魔法を……」監視官たちが動揺する。文字派の人々も勇気を得て、隠し持っていた本を取り出す。地下図書館が一瞬にして文字の聖域に変わった。しかし、その時——図書館の入り口に巨大な影が現れた。現れたのは、白い髭を蓄えた威厳ある老人。身長は普通だが、その存在感は圧倒的だった。彼の目は深く澄んでおり、まるで世界のすべてを記憶しているかのようだった。「私が記憶の聖者オムニスだ」老人が厳かに名乗る。周囲の空気が一変する。監視官たちも文字派の人々も、彼の前では息を呑んで立ち尽くしている。「久しぶりだな、リブリス」オムニスがリブリスを見つめる。「まだ文字という毒に侵されているのか」「オムニス……」リブリスが複雑な表情を見せる。「昔の友人として言うわ。あなたは間違ってる」「間違っている?」オムニスが首を振る。「文字こそが間違いだ。人間の純粋な記憶を汚染する悪魔の発明よ」彼が手をかざすと、不思議なことが起きた。図書館の本が次々と文字を失い始める。まるで文字が空中に溶け出すように。「やめて!」文字派の人々が悲鳴を上げる。「《記憶完全術・文字消去》」オムニスの魔法により、すべての文字が空中に舞い上がり、やがて消失していく。数千冊の本が、ただの白紙になってしまった。「ひどい……」トアが涙を流す。「ひどい?」オムニスが振り返る。「私は救済しているのだ。文字の呪縛から人々を解放している」「